「この人、一体何?」と思ったことについてです

今回は私が、今迄色々な人を見て来た中で、この人、一体何?といったことを述べたいと思います。私は今迄色々な地方で生活してきましたが、大学時代に訳あって学生相談室に通っていたことがありました。学年が上がると足が遠のき、行かなくなりましたが、私が交通事故に遭って入院した後に、同級生が「信念を持って生きろよ」と声を掛けて来ました。しかし、問題はそこからで、私について、「ハイデガーの思想に似ている」といった後に、宗教の勧誘を始めました。私は友人に、「この人、本当にハイデガーの思想を解っているのか?」と話すと、友人は、「それはどうだろうね。兎に角、彼が色々何か言ってきても、それは彼の(勧誘の)手なんだから、乗らない方がいいよ」と話していたので、やはりそうかと思いました。その同級生は、他にも色々な人を勧誘していて、次は誰に声を掛けようかといったことを話していたので、宗教活動にのめり込んでいたものと思われます。当然、4年次になっても残り単位数は多く、4年間での卒業は出来ませんでしたが、卒業式の日にはスーツを着て、卒業者向けに食堂が無料開放されているところに入り込み、ただ飯を食べていました。これだけでも呆れるのですが、私に対しては、「両親も東京に来て貰って、この唯一の正しい宗教に入って欲しい。世の中、カウンセラーも居るが、そんなものは役に立たないのだから」という勧誘を実家に電話をかけてまでしてくるので、嫌な感じでした。また、職場において、「自分が変わらなければ他人は変わらない」と言って宗教の勧誘をしつこくしてきた者がいたということは以前述べた通りですが、このことを転職先で話すと、「夜にやって来て2時間も勧誘するなんて、酷い話だ」と言われました。また、他でも、私が目にした様子では、「あいつ(誰かは不明)は、人間がボロだから、馬鹿にするようになる。俺は、もう思い残すことはない。50歳くらいで死んでもいい。聖書も読んだし、座禅も組んだ。人間、他人に自分を解って貰おうなどと考えるもんじゃない、自分が幸せになれば、他人は寄ってくる。10年早いんだ。そういう奴は、いくら勉強していても無効だ。」と私からすれば首を捻ることを言っている者がいました。この者らに共通しているのは宗教に関係しているということですが、論理性も感じませんし、何が言いたいの?と思うことばかりです。まず、日本について宗教というものは、どういったものになっているのかを冷静に見てみると、宗教に傾倒するということは普通無いというのが実情だということからすれば、宗教の話ばかりしている人は、宗教関係者でもない限り、私は奇異な感じがします。日本の宗教は昔から葬式の為の宗教になっていることは簡単に理解できると思いますが、明治時代に西洋の文化が流入してきても、日本の知識階級は、キリスト教に目を向けた人が少なかったことは知るところです(身近な仏教が役に立たないことを知っていたからです)。私も大学時代にキリスト教概説を履修していたことがありますが、このことは導入部分の最初の最初に説明があったことです。私は、宗教にのめり込んでいる人について思うのは、宗教で色々な人々を救済できるならば、法律家は要らないということについて、法学部に通っている人でなくとも解りそうなことを理解していないのであれば、どうしようもないということです。当然、人間、勉強したことは無効になることは、絶対に無いというのが本筋ですし、人間関係の基本として理解する・させるということは非常に重要です。この理解する・させる、といったことについては、私が現役で入学した名古屋の大学の大学案内に掲載されていた入試の講評の国語について書かれていましたが、こういったことは単なる受験技術ではないということは当然です。増して、日本漢文に親しんだ方であれば、(年齢に関係なく)学は止むべからずといったことの重要さが理解できると思います。世の中、色々な人が存在するのは当然と考えるのは当然ですが、物言い一つとっても、その人の考え方が直ぐに読み取れる場合もありますし、裏の意図が読める場合も少なくありません。私も常日頃気を付けておかなければならないことですが、何故、この様なものが存在するのか、何故、この様なことを生業にしている人がいるのかといった、基本的なことに立ち返って考えていけば、宗教活動にのめり込んで、大学の方が疎かになって留年したり、他人に迷惑行為をするといったことはなくなっていくことも有り得なくはないと思います。しかし世の中、簡単にいかないもので、信仰心の強い人ほど宗教活動から抜けられない、或は、世の中でうだつの上がらない人が、宗教団体内で地位を高めたいという願望から活動を継続することが有り得るということで、私は、こういった人の動向については、関りを持たないでいます。ミュゼ 申し込み